起業に至る経緯

DSC_1035

大向克明は22歳で起業した。

そこには多くの葛藤があった。

では、どういう経緯で起業したのか、それについて語る。

 

大向が起業に踏み切った理由はただ一つ。

「自分がやりたいと思ったから。」である。

 

大向は中学生のころから、学校の先生になりたいと思っていた。

 

中学時代の自分は、一言で言うとやんちゃで、

とにかく人にイタズラをしては、

迷惑をかけてばかりの人間だった。

 

そんな自分を変えたいと思わせてくれた存在、

それが中学三年生の時の担任の先生だった。

 

あとはありきたりの話。

恩師に感謝した、憧れた。教師になろう。と。

 

大学一回生の春、大向は驚嘆した。

 

教師になるために大学に進み、

大学で教育を学ぼうと思った。

しかし、大学での学びは座学ばっかりだった。

 

教育者になるうえで、先人たちが築いてきた教育概念、

あるいは最新の教育理論を学ぶことはとても大切である。

しかし、どんなに知識があろうとも、実践力がなければ意味がないだろうと。

大学のカリキュラムでは、4年間で子どもと関わる実習が合計30日程度しかない。

それだけの経験で教師になって、

現場の子ども達と関わることができるだろうか?

 

そう思った大向は、学生が地域の子どもに

勉強を教えるための団体を作ろうと決意した。

 

それから3年、様々な活動を続ける中で、

であった一人の子どもがいた。

今でも鮮明に覚えている。

とある学校で、300人程度の前で講演会をさせてもらった後のことだ。

 

その講演会のテーマは、生きるということについて、

どんなにつらい毎日だろうとも、

夢を持って頑張れば、

いつか幸せになれるという要旨の話をした。

 

終わってすぐ、大向を追いかけてきた子ども。

「さっきの先生の話、嘘ですよ。」

「自分は、絶対幸せになれませんから。」

 

その子の話を聞いたとき、開いた口が塞がらなかった。

幼少期から虐待を受けて育ったこと。

過剰な虐待と暴力により、体の一部を失ったこと。

両親から逃げて暮らすも、いつ見つかるかの恐怖から

後天性の記憶障害を起こしたこと。

「親に見つかってはいけないから、写真に写ることもできない、

そんな自分でも、幸せになることができますか?」

「自分は、死んでは駄目なんですか?」

 

大向には、何も言えなかった。

何て言えばよいかわからなかった。

大向には、帰って泣くことしかできなかった。

 

そして決めた。

全国にはこんな子どもがたくさんいると。

だから、そんな子ども達のための団体を作りたいと。

 

あのとき、言えなかった言葉、

「大丈夫、日本には俺がいるから。

お前が幸せになれる環境、俺なら作れるから。

だから安心しろ。もう大丈夫だから。」

そんな言葉を平然と吐ける人間になるため、

平然と吐いても大丈夫な日本を作るため、

大向は起業をした。

 

それが、自分の生きる意味と思ったから。

それが、自分のやりたいことだと気付いたから。

それを、自分でやりたいと思ったから。

 

だから、起業した。

それだけ。

 

起業してからの毎日は苦しい。

でも、その苦しさが幸せと感じられるほど、

いろんなことを経験できている。

そう思えるくらい自分の生きがいを、大向は見つけた。

 

よく、学生や高校生から

「将来的に起業したいんです!」

と言われる。

大向は答える。

「やめとけ。」

と。

 

目的は起業をすることではなく、

自分の考える理想を実現すること。

あくまで、起業は手段でしかない。

自分の理想を実現するために、最善の手段が起業であったとき、

そのとき起業すればよいだけだよと。

 

そんなことを、偉そうに考えている。

 

さて、このコンテンツはこの辺までで。

では、次回の更新をお楽しみに。

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です