どんな環境でも生き抜く

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教育者は各々、自分の理想、子どもに伝えたい事をもっている。

そんな中、大向が子どもに伝えたい事。

それが、どんな環境でも幸せになる力である。

自分が教育をするなかで大切にしていることがある。

それが、その場しのぎの教育をしないということである。

 

大向のもとを訪れる子どもは、何かしらの問題を抱えてくる。

重たいものであれば、いじめ、虐待、非行、

軽いものであれば、恋愛相談、学校批判、人間関係などなど。

 

問題を抱えている子どもは、しばしばそのことでストレスを抱えている。

例えば、学校の友達と喧嘩をしてしまい、

それがヒートアップして周りにも迷惑をかけてしまっていると。

周りに迷惑をかけるのは申し訳ない、

でも、相手を許すことはできない…

「どうすればえんよ!」

みたいに葛藤して、ストレスが生まれる。

 

では、そういった相談、どう対応すればよいか?

どう解決するべきか?

 

こんな議論をしたとき、

大向の答えは毎回決まっている。

「解決ってせんくて良いでしょ。」

 

皇后陛下の美智子様のお言葉に、こんな言葉がある。

幸せな環境で生きる子どもより、

どんな環境でも幸せになれる子どもを育てたい

正直にいうと、初めて聞いたとき、震えが止まらなかった。

 

よく、例え話にでる教育題材に、靴ひもの話ってのがあって、

小学生の子どもが、靴ひもを結ぶことができなくて困ってますと。

蝶々結びができませんと。

 

そんなとき、その子の靴ひもを結んであげることは教育ではないんだぞと。

教育ってのは、自分で靴ひもが結べるようにすることなんだぞと。

 

つまり、結局さ、

相手に、幸せを提供するのが教育ではありません。

相手のストレスの原因を取り除くのが教育ではありません。と

 

伝えるべきは、自分のストレスと向き合う力だと。

伝えるべきは、幸せをつかみ取る力だと。

それが、大向の教育哲学である。

 

だから、冒頭の問題に戻ったとき、

大向のまずの行動は、何もしないなんですよね。

 

そりゃ、子ども同士の問題だし、

大人が仲裁に入れば、

お互いが納得いくような終着点に導くこと、

簡単ですよ。

 

でも、小学校で、大人がそれをして、

中学校でも、大人がそれをして、

高校でも、大人がそれをして、

大人になったら、だれがするんですか?

おじいちゃんおばあちゃんになったら、だれがするんですか?

 

そんなの、自分にきまってますよ。

 

だから、与えていいのは、過去の事例まで、

「例えば○○さんはこんな解決方法をして、こうなったよ~」

「例えば××さんは、同じときこうしてたよ~」

と、3つ4つの事実だけを伝える。

そこから子ども達に、自分で選択させる。

 

もしそれで関係がもっと悪化したら?

もしそれで、周りがもっと迷惑を被ったら?

 

それでいんですよ。と

 

我々は、子どもに成功を提供するのではなく。

成長を提供するんですよ。

 

極端な話、そこで人間関係こじれて、

その一年間、クラスが気まずくなっても、

そのクラスの人は、

「○○な問題が起きたとき、××をしてしまうと、こんな空気になる。」

「次のクラスでは、学校では、こうしよう!」

と、成長をするんですよ。

あの時の失敗のおかげで、今の自分があるのだと、

向き合えるようになるんですよ。

 

だから、我々教育者の仕事は、

あくまで相手に「無関与」と思われつつ、

悟られないように、最後まで導くこと。

「自分で考えて行動したら、この結果が表れた」

という経験を、100や200積ませること。

これが、教育のあるべき姿だと信じている。

 

さて、今日のお話はこのあたりまでで。

では、またの更新をお楽しみに。

 

 


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