教育とは、何歩後ろに回れるかだと思ってるって話

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最近よく、うちで教育の勉強をしてる子たちに話す話。

「問題を解決するのが教育じゃなくて、解決方法を教えるのが教育だー」

について、少し具体的な話をしようと思う。

 

医学の言葉に、こんな言葉がある。

対症療法原因療法だ。

 

対症療法

病気の原因を取り除くのではなく、

その病気における症状を和らげたり、解消したりする治療を指す

 

原因療法

疾患の完全治癒を目指して、

病気の原因そのものを取り除こうとする治療法

 

本来、医学の言葉ではあるが、

子ども達の心理の話、問題行動に対する話の時、

わかりやすいので、個人的にこの言葉を使わせていただいている。

 

例えば、家庭環境が原因で子どもが家出をしたとする。

二日間帰らず、捜索願いも出し、ようやく帰ってきた。

親は当然怒る

「どうして家出をしたのだ!」 「どれだけ心配したと思ってるんだ!」

そして問題解決の方法を考える。

 

その結果、以下の方法を取った。

「門限を、夜の7時にした。」

「家のカギに常にチェーンをかけ、すぐに出ていけないようにした。」

「常に玄関近くの部屋に両親がいるようにして、家出しようとしたらわかるようにした。」

 

仮にこれで家出がなくなったとする。

さて問題は解決したと言えるのであろうか?

いや、言えるはずがない。

 

家出は、一つの現象に過ぎない。

家庭環境が原因で家出をしたのであれば、

“二度と家出をしないため”を考えた対症療法になんの価値もない。

 

根本である、家庭環境を解決しない限り、

おそらく子どもはストレスを感じ続け、

おそらく子どもは苦しみ続け、

家出ではない現象、自傷行為やDVという形で

新しい問題を起こす。

何の解決にもなっていないんだと。

 

そして、この理論はいかなる場合でも成立する。

 

例えば、自殺の相談をされたとき。

「私、死にたいと思ってるんです。」

「やめときなよ、自殺はよくないし、先生も君がいなくなると悲しいよ。」

 

例えば、学校を辞めたいと相談されたとき、

「私、学校いくのが辛いんです。」

「やめときなよ、今の時代、中卒で仕事なんかないし、あと一年ちょっとじゃん。」

 

例えば、喧嘩の相談をされたとき、

「私、あの人と喧嘩したんです。」

「まぁ苦手な人も絶対にいるわけだし、とりあえず謝って、距離置けばいいじゃん。」

 

その瞬間における、その悩みが解決したとしても、

おそらく問題行動は繰り返される。

 

つまり、教育者は常に原因に目を向ける必要がある!

 

では、原因療法をするために必要なことは何か?

それが、何歩後ろに回れるかだと、考えている。

どういうことか、自殺相談を例に挙げて説明する。

 

仮に、「私、もう死にたいんです」と相談されたとする。

 

先ほど、問題を解決するだけの対症療法に意味はないと述べた。

しかし、全く意味が無いとは言い切れない具体例も、

現実的に存在しているのもまた事実である。

 

先生、私もう死にたいんです…

 

馬鹿!そんなこと言うな!

今はつらいのはわかる!でもな、命は大事にしろ!

先生は、いつまでもお前の味方なんだから!

 

先生…

 

10年後

 

あのとき、先生が励ましてくれたおかげで、私ここまで生きてこれたのです!

ありがとうございます!

 

Happy end

こんな話も、あるのは事実である。

 

だから、対症療法しかできない教育者は口をそろえて言う。

「自分らは、このやり方で解決してきたんだ!」と。

そしてこれが話のミソなのである。

 

大切なのは、

「どうやって問題を解決したのか」ではない。

「どうしてそのやり方で、問題が解決できたのか」である。

 

自殺をしたいと悩む子どもには、様々な原因がある。

 

○日常生活における虚無感

○劣悪な家庭環境

○ストレスを感じる対人関係

○夢の損失

○自己肯定感の低下

 

自殺相談をしてきた子どもが、

「誰にも愛されてない事」を原因に、

「誰も自分に真剣に向き合ってくれない事」を原因に、

相談に来ていたのであれば、

 

その場で熱く2時間、真剣にどうしていじめをしてはいけないかを。

先生は君の味方だからと、声をかけ励まし続けることは、

対症療法でありながら、最適の原因療法になることもある。

 

だから、原因療法を行うためには、

とことん後ろを考える必要がある。

 

自殺の悩みを抱えている子どもの原因を考えたら、

その子は”誰にも愛されてない事”を悩んでることがわかった。

では次に、その子がどうして”誰にも愛されない”と悩んでるのかを考える。

 

周りの評価が高いけど、本人が人間不信で、

周りの評価をうまく受け取れてないのではないか?

 

あるいは、とがった言動のせいで、

周りから本当に孤立しているのではないか?

 

では、その子はどうして人間不信の状態でいようとするのか?

その子の対人関係は?家庭環境は?生い立ちは?

 

どうしてその子がとがった言動をとるのか?

何のため?何か恐れてる?嫌なことあるの?

 

彼女は何らかのストレスを感じたうえで、

人間不信やとがった言動をとってることが分かった。

では、そのストレスの原因は、解決方法は?

 

ストレスの原因がわかった。

じゃぁ、その原因が引き起こされる原因は?

 

一つの問題が起きるまで、

その後ろには何百何千という過程が存在する。

 

「昔、この方法で解決できたから。」

「あのときと同じ方法で。」

なんて考えで対症療法をするのは、危険極まりない

 

成功を評価するべきではない。

どうしてその教育が成功したのか、

それをとことん突き詰め、その成功の要素を突き止め、

その要素を踏まえ、教育の精度を上げるために日進月歩するべきなのである。

 

成功の認知に、考えすぎはない。

だから、とことん考え、とことん後ろに回り、

自分に相談をしてくれた子どものバックグラウンド、

全て分析したうえで最善の手段を探す。

 

それが真の教育者だと、強く信じている。

 

さて、今日もよく語りましたということで、今日はここまで。

またの更新をお楽しみに。


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