算数の順序問題について。(その2)

約、二日ぶりの投稿です。

 

先日投稿したブログ、twitterでのやりとりが

軽い炎上状態を招いたということで、

改めて投稿をさせてください。

 

計算順序問題

一個30円のリンゴを、4つ買います。代金はいくらでしょう?

 

この問題に対して、どんな計算式で答えを求めるか。

 

① 30×4=120   答え:120円

② 4×30=120   答え:120円

 

と、二つの計算が出てきたとき、

両方を正解にするべきか?

下は不正解にするべきか?

 

ここで、この記事の中では、

両方を正解だと主張する方を

どちらでも良い派

下は不正解だと主張する方を

こだわる派

と呼ぶことをご了承ください。

 

 

訂正とお詫び

 

二日前のやり取りの時点で、

僕はこだわる派として主張をさせていただきました。

 

自分は大学で数学を専攻をしていたのですが、

その中で学んだ知識、考え方を根拠としていたのですが、

色んな方に指摘を受ける中で、

自分の主張は間違っているのではないか?

と、自らの主張を疑い

いろいろ勉強し直させていただきました。

 

その結果、

どちらでも良い派、こだわる派

双方ともの主張には論理性があり、

どちらが正しいとは、一概に言い切れない

という考えに至りました。

 

なので、こだわる派として、

「自分は間違ってない!」

と発言させていただいていたことを、

深くお詫びさせていただきます

 

もう一つのことわり

何名かの方に指摘されたことがあります。

「問題設定、環境設定がしっかりしてない」

「論点が整理できてない」

「何の議論をしてるの?」

 

コチラに関しても、取り留めのない議論になってしまい申し訳ないです。

今日の記事の中でも、改めて議論の余地のある話をしようと思うのですが、

そこでは最善の意識を払います

 

順序問題の歴史

 

そもそも、どうして掛け算の順序問題が誕生したかという歴史は、

明治時代、文明開化の後に、

乗数、被乗数という概念が伝わったからだと言われているようです。

 

a×b=abとするとき、

aを被乗数、bを乗数とする。

 

ここで、面白い話なのですが、

掛け算の順番は国ごとに違います。

 

たとえば、日本であれば、

乗数、被乗数という言葉を用いて考えるとすると、

「a×bの意味は、 aがb個分ある。」

となります。

 

逆に、アメリカでは、

「a×bの意味は、bがa個分ある。」

となります。

 

つまり、掛け算の計算順序問題は、

国ごとが定義している概念に過ぎず、

どちらが正しいかというのは、数学的に論述することができないのです!

 

 

双方の主張の根拠と問題点

先ほどの歴史を踏まえた上で、

どちらでもよい派とこだわる派の主張の根拠と問題点を簡単にまとめました

 

どちらでもよい派

根拠

実数は、乗法について可換である。

すなわち、ab=baが成立するので、

計算順序は関係ない

 

 

問題点

ab=ba は、あくまで数値上の等号であり、

計算式の意味までが同じというわけではない

 

 

 

こだわる派

根拠

乗数、被乗数というものを、

日本において「かける数」「かけられる数」

と定義しているのだから、それを使えばよい。

 

 

 

問題点

主張が数学的ではない

 

 

数学的な補足

少し、数学的な話をします。

というのも、

計算順序を入れ替えていいと言い切れない!

という考えのための補足です。

難しいと思われる方は、次の文節まで飛ばしていただければと思います。

 

そもそも、我々が使っている数というものは、

1891年、ジュゼッペ・ペアノによる

たった5つの公理から自然数が体系化され、

それから、整数、有理数、実数、複素数と

誕生してきました。

 

そして、そこに二項演算として、

四則演算が用いられるようになりました。

 

ここで、改めて意識したいのが、

可換は定義ではなく性質ということです。

 

つまり、ペアノの公理より体系化し派生した数が、

たまたま加法と乗法において、可換になったにすぎない。

 

abとbaという、本来全く別の意図から生まれた数が、

たまたま数値計算上ab=baという関係を持つようになったに過ぎない。

 

この歴史を踏まえると、

「40×3と3×40は同じ意味だよ!」

という主張に対して、

数学的に肯定することも否定することもできないのです。

 

数値上は等しくなる

誰が言ったって、ab=baだし、それは誰にも否定できない。

 

しかし、abとbaは本来別の意図から生まれている。

だったら、その意図までも等しいとしてよいのか?

 

と、突き詰めていったとき、

数学では意図の等号性までは、証明不可能という考えに至るのです。

 

 

3日分の意見を含めて、改めた問題提起。

さて、全部踏まえた上で、こんな問題提起をしましょう。

 

ある学校におけるテストで、以下のような問題を作った。

1個当たりの値段が40円のリンゴを、9個買った。

その代金はいくらか、考え方の式と代金を答えよ。

(配点は計算式2点)計算結果(3点)

この問題に対し、

① 40×9=360 360円

② 9×40=360 360円

③ 40+40+40+・・・+40=360 360円

④ 400-40=360 360円

⑤200+160=360 360円

と、5つの解答があった、それぞれ、何点をつけるか。

 

さて、5つの計算の考え方を推測する。

①はシンプルに、40円が9個。

俗にいう、こだわる派がもっとも正当とする答えである。

 

②は計算順序を入れ替えているもの、

計算順序問題の対象になるものだ。

 

③は掛け算を使わず、

全て足していっている

 

④は計算の工夫。

9=10-1を使っているので、

40×9=40(10-1)=400-40

 

⑤も計算の工夫

両手で数えようと思ったときに、

5個分で200円、

9-5=4

残り4個分で160円

だから、200+160

 

さて、考え方の式を答えよと言う問いかけに対して、

皆さんは、それぞれに何点をつけますか?

各自で、考えてみてほしいです。

 

塾をしている自分の結論

先に自分の結論を書くのは、

「情報操作だ!」と思われる方もいるかもしれないが、

それでも自分の答えを述べさせてください。

 

もし自分が上の状況で採点するとすれば、

満点の5点をつけるのは、①番だけです。

 

そして、それ以外の4つは

-1点し、4点をつけます

 

もちろん、それぞれの計算が正しい事は百も承知ですし、

5人いれば5通り、30人いたら30通りの答え方があるのは当然ですし、

一つの問題に対して、いくつもの考え方があることが数学の面白いところだ!

という話は、塾生に対してや外部公演の際はかならず話します

 

だからこそ、塾の先生として、答えます。

色んな考え方があることを理解したうえで、

一つの問題に対して、色んな解法を考えてほしい。

 

一つの解法を減点することは、

決してその子の解法や価値観を否定することではありません。

 

むしろ、一つの可能性に固執する、

多様な考え方を持てない子どもに、

別の解法と出会うチャンスを与えることだと思っています。

 

最初に思いついたやり方ではなく、

答えへの道筋を何通りか考えた上で、

一番、自分の考えに合ったものを選択してほしい。

 

そして、5パターン10パターン100パターンの考え方を

自分の頭の中で考えたとき、

1000人いたら1000人が正解という解答をしてほしい

 

計算順序を、逆にしても、答えは正しい。

一個一個足していっても、答えは正しい。

工夫しても、答えは正しい。

計算結果は、すべて等しい!

 

ただ、

中には「その計算は逆だ!」

中には「非効率だ!」

中には「途中式が足りてない!」

と、文句を言う人がでてくる。

 

そのことも理解したうえで、

何パターンか理解したうえで、

いえいえ、自分の考え方は間違えてないですよ!」

と主張するのではなく、

「これなら誰もが文句の付けようがないだろ!」

という解答を考えてほしい。

 

これが、自分の上の問いに対する答えと、

減点の意図です。

 

自分の信じる教育、している教育

 

 

 

ここまでの話を一蹴する主張があります。

お前は算数と数学を混同している

 

答えを考える科目が算数、

求め方を考える科目が数学と分類するとすれば、

僕の主張は、全て間違いになりますし、

計算順序問題も意味がありません。

 

しかし、ごく個人的な考えですが、

僕が自分の教育を通して伝えたいことは、考える力、学ぶ意欲です。

 

「答えが出たらそれでいい!」

という考え方は好きではありません

 

もちろん、これは押しつけです

 

僕は数学が好きだから、

考えることが好きだから、

色んな人と話し、学ぶことが好きだから、

思考と学習のある毎日が幸せだから、

子どもにその考え方を伝えたいと思っています

 

身の回りの事象に対して、

「なぜ、星は動くのか」

「なぜ、日本には四季があるのか」

「なぜ、ご飯を食べると眠くなるのか」

「なぜ、書き順にこだわるのか」

「なぜ、あの経営者は成功してるのか」

一つ一つの疑問に対し、

考え、人と議論し、自分なりの結論も出すのが大好きな、

知的好奇心の塊だからです。

 

 

そして、

その考え方を伝えることが、

自分の教育です。

 

 

この考えは、押し付けるべきではないと思ってるからこそ、

個人でNPOや塾、フリースペースの経営をさせていただいています。

 

そして、自分に対して魅力を感じてくれてる人が、

僕のもとにお金を払って話しに、

勉強しに来てくれてると自負してます。

 

だから、自分は自分の教育を信じています。

 

計算順序問題についても、

ネット上ではあーだこーだ言いってきましたが、

もし自分が生徒と話すなら、

どちらでもよい派とこだわる派の双方の主張を紹介します

 

僕はこだわる派です。

初めに言った通り、明確な証明ができないため、

「こだわる派が正しい!」と主張することは、もうありませんが、

それでも、どちらかというとこだわる派です。

 

でも、先生として生徒の前に立ったら、

自分の意見はすべて捨てます。

 

そして、あくまで中立に話します。

 

教育界では、

「こだわる派」と「どちらでもよい派」が

毎日のように戦ってるんだと

 

双方の主張はこれで、

根拠と問題点はこうだよ。

 

両方話したうえで、

子ども達に伝えます。

 

どちらがいいかは、自分で考えて、

自分なりの結論を出しなよ。

それは、正解不正解関係なく、

大事なことだから。

 

と。

 

大衆民主主義と揶揄される今の日本。

「周りのみんなはこうだから~」

「普通はこうだから~」

「そう教えてもらったから~」

そんな言葉が溢れてます。

 

でも、そうじゃなくて、

自分なりの答えを出せる人間を育てたい。

それが自分の教育の理想の姿です。

 

最後に

今回、多くの方に色んなことを言われました。

中高生から大学教授まで、

色んな立場や価値観を持つ方が、僕にいろいろお話しくださりました。

 

中には暴言や人格否定もありました。

ただ、それも踏まえて、勉強になったと思っております。

 

自分を否定する人は、こんな考え方を持ってるんだ。

自分にない、こんな考え方があるんだ。

と。

 

それも含めて自分は勉強だと思います。

 

今回、一番議論を持ち掛けてくれた17歳の方がいます。

個人情報上、名前は出しませんが、

一番熱心にいろいろ聞いてくれましたので、

この場を借りて、この発言が答えさせていただきたいです。

 

僕は、減点をされること、否定をされることが、

必ずしも悪い作用をもたらすとは思いません。

 

それこそ、今の僕は、

この3日間、いろんな方に否定をされ、

そのたびに、色んな事を考えました。

 

その結果、確かにストレスは若干たまりますが、

有意義な知識を手に入れることができたと思います。

 

 

そもそも人間は、

目の前の問題に行き詰った時、

傷ついた時、壁を乗り越えようとしたとき、

一番成長すると考えてます。

 

だから、その瞬間、傷ついた、

その瞬間、否定されたというのは、

あくまでほんの一瞬の話だと思っております。

 

大切なのは、その後の関わり。

傷つけたまま放置することは、絶対にありません。

 

人を傷つける覚悟というのは、

時に相手に言うべきことがあるとき、

それを伝えて傷つけるとしても、

その後とことん関わることだと思っています。

 

いったん傷つけることになっても、

傷を癒し、より一層の成長をしてもらうために。

 

今まで教えてきた子ども、

簡単に数えても100人以上います。

そして今後、どんどん増えていきます。

 

僕はその人数が1000人を超えようとも、

全員と何らかのかかわりを持ち続けたいと考えております。

 

教育は一瞬のものではありません。

その子の人生、60年と関わる覚悟で、

塾を卒業したら友達として関わる覚悟で、

僕は教育をしています。

 

だから、僕は

5×3と答える子どもは減点します。

もしそのことで傷つくなら、

傷がいえるまでずっと教育をする覚悟で、

5×3を減点します。

 

そのほうが、色んな考え方を伝えるきっかけになるからと。

そのほうが、得だからと。

 

それが、大向克明だとご理解ください。

 

長い文章、お読みいただき、ありがとうございます。

以上で、僕の主張を終わります。

 


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